贅沢を嫌い、質素倹約を尊んだ日本人

贅沢を嫌い、質素倹約を尊んだ日本人 日本人が贅沢を嫌い、質素倹約を尊んだことがよくわかる例として、1857年から2年間、長崎海軍伝習所勝海舟榎本武揚に近代海軍の教育を行ったオランダの海軍人・カッテンディーケの言葉を回想録『長崎海軍伝習所の日々』から紹介しましょう。 「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢修贅沢(しゃしぜいたく)執着心をもたないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」(『逝きし世の面影』渡辺京二平凡社から引用)カッテンディーケは、決して「貧しい」とはしていません。彼は、日本人の「余計なものを持たない合理性」に感心しているのです。 1863年、日瑞修好通商条約(瑞はスイス)の締結のために来日したスイスの使節団長アンベールは、見聞録『Le Japon Illustre(邦題・アンベール幕末日本図絵)』で、次のように日本の職人論を述べています。 「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。労働それ自体が最も純粋で激しい情熱をかきたてる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分の作るものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどれくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく、かなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである」(前掲書『逝きし世の面影 』から引用) 江戸の職人は現代で言えば会社の技術者に当たります。アンベールは、実にあっさりと人生そのものを楽しんでいる日本の職人たちに感心しています。 生活に十分なだけのものを稼いだら、あとは自分が満足するまで仕事をする、着ているものは粗末でもそんなことも気にしない、生きることの素晴らしさを本当に知っている人たちが私たちの祖先でした。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060115 81  R061018