◎ダイオキシンがなぜ問題になったのか

ダイオキシンがなぜ問題になったのか 日下: ダイオキシン問題とは、ラットについての毒性が喧伝(けんでん)されたわけですね。 武田: ダイオキシンはラットやモルモットに対する毒性が強いのです。同じネズミ類でもハムスターに対してはそれほど強い毒性を持っていない。ですから、ラットやモルモットヘの影響とハムスターヘの影響は違うし、さらに人間となると、その影響はまったく異なります。動物実験で毒性があると判定された物質をどう考えるかは、とても難しい問題なんです。 たとえば生物はさまざまで人間は酸素が必要ですが、逆に酸素があると死んでしまう生物も多くいます。それらの生物は地球上に酸素が少なかった時代の名残(なごり)です。硫化水索は人間にとっては猛毒ですが、硫化水素を使って生きている生物もいます。 ですから、ある生物には毒だというデータ結果は、最初の研究のきっかけになるだけで、だから、人間にも毒だ」と言えるわけでありません。また、ある生物にとって毒性があるものだからといって、それが増えることで環境を汚すというわけではないのです。 かつて「サリドマイド事件」というのがあったのをご存知だと思います。一九五〇年代末~六〇年代はじめにかけてのことですが、睡眠・鎮静剤として開発されたサリドマイドを妊婦が服用したところ、生まれてきた赤ちゃんに奇形が生じた薬害事件です。全世界での被害者は三千人以上(死亡した胎児を含めると五千人以上)、日本でも三百人以上と言われています。 このサリドマイドは、ダイオキシンとは反対に霊長類を含めた動物実験では十分に安全だったのですが、人間には毒だったという例です。つまり、「動物に毒イコール人間に毒」とは限らないし、「動物に安全イコール人間に安全」とも限らないということです。 「動物に毒だったから人間にも毒だ」「動物では安全だから人間にも安全だ」などと、頭から思い込んでしまうと、かえって危険だということです。ですから、人間についての毒性については、きちんとした検証が必要なのです。 日下: 動物実験では十分に安全であっても、人間に毒性がある場合もあるというわけだ。 武田: そうです。その例がサリドマイドで、ダイオキシンはちょうど、それとは反対なのです。ダイオキシンがなぜ問題になったのか、ちょっと歴史的な経過をたどると、一九七二年前後に一部の学者がダイオキシンという化合物を単離(たんり){ 参考・単離とは、混合物から純物質を物理化学的原理に基づいて分離する操作のこと}したときに、簡単な化合物なのですが、ちょっと知識がなかったのか、新しい物質と錯覚したんです。それで大変に毒性が高いということがわかった。 もう―つのポイントは、ダイオキシンの毒性を強調する側の弁護になるのですが、毒性の現われ方が新しかった。たとえばシアン系の毒物なら呼吸が止まる。サリンだと神経系が止まる。ところがダイオキシンの場合、何が止まるのか、わからない。そういうこともあって、科学者は非常に注目した。 そのあと一九七六年のことですが、イタリアのセベソ{ 参考:一九七六年七月十日にイタリアのロンバルディア州、ミラノの北二十五キロ付近に位置するセベソの農薬工場で発生した爆発事故。この時点のセベソ地区は人口一万七千人、周辺地域を含めて六~十万人という地域に、人間にすれば二十二億人の致死量(モルモットでの数値)のダイオキシンが町に降ったのです。それで大騒ぎになって、日本の新聞もそのへんからダイオキシンに関心を抱くようになり、いろんな研究が行なわれるようになりました。 世界中が関心を持って、この町に住む人がどうなるかを見守りました。町に住む人は当然、恐れおののきました。しかし、このセベソでは、結局は一人も患者さんが出なかったのです。ダイオキシンはちょっと脂肪に溜まる傾向があるので、記録を見ると男性より女性の方が体内蓄積量は六倍と言われていますが、現実的な障害者は出てはいません。 現実に大きな被害があったのは、奇形児が生まれるという噂によって推定六十人の妊婦が中絶したことです。中絶した胎児の記録も残っていて、私はそのすべてを知っているわけではありませんが、胎児は正常でした。 その後、セベソは三十年経っているのですが、中絶を免れて生まれてきた子どもには、奇形児の発生は見られないということです。 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より R061206 P52