鉄器時代の幕開けと世界最大宗教へと続く道 紀元前14世紀に古代オリエントを代表する強国として最盛期を迎えたヒッタイトの強さの要因は「鉄器」の活用にありました。 現在のトルコやイラクなどにあたるオリエントの北方地方、つまりヒッタイトが支配した地方は、多くの金属鉱石が採れることで有名でした。 装飾品や農具、そして武器に使う材料の多くがこの地方から周辺の国々にもたらされました。 鉱石を掘り出して溶かし、加工する技術の蓄積こそがヒッタイトの力でした。紀元前13世紀初頭、ヒッタイトと衝突したエジプト新王国のラムセス2世が相手にしたのは、「世界初の鉄器で武装した軍団」だったのです。 現代では巨大な溶鉱炉と完璧な装備を使いますから、鉄や銅などの金属を溶解するのは簡単です。 しかし、紀元前13世紀当時には装置も知識もありません。 すでに青銅器の時代は迎えていましたが、銅についても溶かすだけでたいへんな手間と技術を必要としました。 ましてや、融点1000度程度の銅や錫(すず)よりも500度以上高い融点を持つ鉄を扱うことは容易なことではありませんでした。 ヒッタイトでは、経験をもとにした多くの知識を持つ「カリュベス人」と呼ばれる人々が鉄の製造を担当していたと言われています。貧弱な、今で言うブルーム炉を使っていました。 しかしカリュベス人は鉄をどうしたら強くできるかということにかけてはよく知っていたと言います。 カリュベス人はすでに紀元前2000年頃から、炭素の少ない錬鉄を叩くことによって炭素を鉄に浸み込ませ、“はがね”に 変える技術を磨いていました。 ラムセス2世はヒッタイトとの消耗戦に疲れ、ヒッタイトの王ハットウシリ3世の娘を妃に迎えて、講和条約を結びます。 エジプトに、鉄器と鉄の優れた製造方法が伝わりました。現代につながる「鉄器時代」の幕が切って落とされたのです。 当時のエジプトには数百年前から移動してきたイスラエルの民、すなわちユダヤ人が住んでいました。エジプト人にとっては異民族です。 ユダヤ人は結束が固く優秀で、徐々に王国の中枢に対して影響力を持ってきました。 ラムセス2世は国外問題としてヒッタイト、国内問題としてユダヤ人を抱えていたのです。 やがて、ユダヤ人の中から卓越したある人物が出現し、ラムセス2世にとって事態はさらに悪化します。その人物こそが「モーゼ」であり、モーゼの出現によってユダヤ人の台頭は明白になりました。 ラムセス2世はユダヤ人を極度に圧迫し始めます。 彼は葬祭殿ラムセウスの建設にユダヤ人を酷使しました。 圧制王ラムセス2世に対するユダヤ人の反発は、さらに激しくなっていきました。 ユダヤの祭日「過越祭」の夜には、エジプト人の長男の幼児がすべて死に絶えるという事件も起きました。 ラムセス2世は戦いを挑み、モーゼおよびユ ダヤ人の追放を決意します。これが『旧約聖書』に「出エジプト記」として書かれている事件です。 ユダヤに語り継がれるラムセス2世は圧制の王であり、悪の権化です。 とはいえ、ラムセス2世ほど歴史の大舞台に立った人物はいなかったと言えるでしょう。 ヒッタイトに相対したカデシュの戦いでは「青銅器時代から鉄器時代への転換」の舞台に立ちました。モーゼとの戦いは「キリスト教という人類最大の宗教の発祥」の舞台に立った、ということでもありました。 ラムセス2世は「鉄器時代の幕開け」と「最大の宗教の発祥」の2つの巨大な歴史の波の中でもがき、苦しんだ王でした。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060124 107 R061027